別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

別荘には目玉がいる

肩の力が抜けた柔らかい文章が

気持ちを穏やかにしてくれます。

 

父の縁側、私の書斎 (新潮文庫)

 

 

父の縁側、私の書斎

父の縁側、私の書斎

 

 

能古島に家を買ったという話を聞いて、私は仰天した。いったいぜんたい、どこにそんなお金があったのだろう。「ないのよ。だから、あなたのお金を使わせていただいたの」母が言った。
◇◇
「ふみのお金ですから、ふみの名義にしましょうねって言ったんだけどね、チチがどうしても自分の名義にするってきかないの」

博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)に父親壇一雄が家を買ってしまった。
しかも壇ふみのお金を使って。

 

「ドイツ人にとってはね、家は住むものじゃなくて、見せるものなの。」と旅の道すがら、ドイツ通の友人がしたり顔で言った。なるほど、どの家も窓辺には花やレースのカーテンが揺れている。間違っても洗濯物などはぶら下がっていない。そして、どのお宅に伺っても、必ず、「家をご覧になりたいでしょ?」とハウスツアーが始まるのである。

洗濯物をベランダに干すことを

恥ずかしいと思う日本人が最近現れているようです。 

 

さて、もう一つの意見割れは、風呂をジャグジーにするかどうかだった。建築家は「贅沢だからいらない」と主張し、私は「別荘には目玉がいる」と言い張った。最終的には「予算上、無理だったら、ヘソクリをはたいてでも目玉を作ります!」とたんかを切ってジャグジーを入れた。

山の家(別荘)の話。

目玉に賛成です。

何かひと手間かける。

それだけでだいぶ違いますよね。

 

その間ジュリアンはというと、まだツヤの出ていない床をせっせと磨いている。プールに落ちた木の葉をこまめにすくう。汗だくになって家のまわりの岩を掘り出し、石垣を築く。一日中、働きづめである。少しでも建築費を節約しようと、自分でできることは全部自分でやる決心らしい。ふーん、別荘を持ってかえってのんびりできなくなってるんじゃないのかな------と、横目でそれを眺めつつ、私は思っていた。
しかし、今ではジュリアンの気持ちがよくわかる。
山の家に行くと私も働きづめなのである。
わずかの間に床に積もった塵に掃除機をかける。松ヤニのついた窓を拭く。タンポポに席巻された庭の草むしりをする。休みが終わるころには、すっかり疲れ果て、自分がぼろ雑巾になったような気分になる。
しかし、ボコボコと泡音を立てる風呂にくたびれきった身を横たえながら、私は幸せでいる。「のんびり」とはこの一瞬のことなのかもしれない。

 

 

ピーター・ラビットの生みの親、ビアトリクス・ポターの家に行って、つくづくそう思った。なんていうこともない庭なのだが、湖水地方の緑の中で、まさに宝石のようにキラキラと輝いている。一歩入り込んだ瞬間に、私はたちまち恋に落ちてしまった。
◇◇
というわけで、目指すはビアトリクス・ポターの庭である。したたる緑である。咲き乱れる花である。日本に帰り、山の家の前に立って、私は決心した。ここを思い切りピーター・ラビット風にしよう。
◇◇
しかし一年もたたないうちに、挫折感に打ちのめされた。
ちょっと見ぬ間に、芝生は雑草に席巻され、薔薇の葉っぱは虫食いだらけとなり、木々は立ち枯れていたのだ。必至で雑草を抜きまくる。殺虫剤をまく、枯れた木を抜いて、根もとをよく耕し、新たな苗を植える。
だが、二、三週間して行ってみると、すべては元の木阿弥と化している。
何にも煩わされず、ゆったりと夏を過ごしたいと思って手に入れた山の家だったが、ピーター・ラビットを目指したばかりに、行くたびに庭の手入れに追われて、落ち着くどころではない。

イングリッシュ・ガーデン。

あこがれています。