日本語とは精神そのもの
美しいのは娘でしょうか?
水車小屋でしょうか?
私は芝居も書いていますが、台詞はやまとことばでないとだめなんです。漢語ではお客さんの理解が一瞬遅れます。演劇の場合、時間はとまることなくずーっと進行していきますから、お客さんがちょっとでも考え込むと、その考え込んだあいだだけ、続く台詞が聞こえなくなります。そうすると観客の意識に、ぶつぶつぶつぶつ穴が開いてくるわけですね。それを避けるために、なるべく漢語はやまとことばに言い換えています。
大野説を一言で言ってしまうと、既知の旧情報には「は」を、未知の新情報を受ける場合は「が」を使うということです。「むかしむかしある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました」-------はじめておじいさんとおばあさんが出てくるのですから、まだ誰も知らないわけですね。だから「が」を使います。次に「おじいさんは山へ」というときには、そのおじいさんは、ある所に住んでいるおじいさんに決まっているわけで旧情報です。おばあさんについても同じで、ある所に住んでいるおばあさんに決まっています、別のおばあさんだったら大変です(笑)。