別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

いつでもどこでも、愚直に、徹底的に訓練し続けよ

再読です。

前回はこちら

⇒ 倍・半分は許される。ケタ違いはいけない - 別荘は買わない

 

この本は、なぜ読むたびに新しい発見があるのでしょうか?

読むたびにワクワクしてくるのはなぜでしょう?

私の頭の中で、今までにない考え方の変革が生まれているからでしょうか。

様々な本を読んでいなければこんな出会いはなかったでしょう。

本を読んでいて本当によかったと思う瞬間です。

 

 

数に強くなる (岩波新書)

数に強くなる (岩波新書)

 

 

「数を作る」という動作は、このような「登って→加工して→降りる」というルートを辿ることである。「具象の世界」と「抽象の世界」を行き来することで、新しい数を生み出すのである。数に強い人の頭の中は、必ずこのように動いている。

 

「数に強い」とは、その数を単体で相手にしないということである。その数の後ろ側にある全体も必ず相手にするのである。数で考えるから、全体がつかめる。全体がつかめるから、数で考えられる。数と全体とは、互いに補い合うものなのである。

 

世の中にはスゴイ人が確かにいる。知識が無くても、何でも作ってしまう人である。こういう人たちは、先ほど話をした「わかる」という動作を必ずしている。だから「何かを作りたい」と考えると、それに必要な要素をすぐ探しに行ける。必要とする要素が無くても、そこに仮にあるものとして組み立てることができる。物ごとをよく見て考えている人は、例外なく、こういう動作ができる。

 

筆者からの追加事項がある。それは、いつでもどこでも、愚直に、徹底的に訓練し続けよ、ということである。◇◇ここまで徹底して、何でも数にするのである。朝起きて寝床から出たら、見えたものは片っ端から数にする。わからなかったら測ってでも数にする。そうして、「数にしないと気が済まない」と感じるくらいにまで自分を訓練漬けにして、習慣にするのである。筆者は40年来、年がら年中、四六時中、この訓練を実行している。

 

「数の認識回路」が頭の中にあるか、それは、さきほどの「瞬時の判断」にとっても非常に大事なことである。時間が勝負の状況では、資料を引っ張り出したり、人の意見を聞いているヒマはない。即断即決、その場で自分が判断しなくてはならない。そういう瞬時の判断を的確に行うためには、「パッと見てわかる」と言う瞬時の理解ができなくてはいけない。そのためにも、日ごろから徹底的に、何でも数にする訓練を重ねて、自分の頭の中に「数の認識回路」を作っておく必要があるのである。

 

計算しないで正しい結果を出す。塚原卜伝の無手勝流ではないが、これに勝る計算法は無い。では、それはどうすれば可能か。前にやったことがあるとか、昔見たことがあるとか、何でもいい。そういうことを徹底的に大事にして、いつでも即座に使える状態で、頭の中にきちんと保持しておくのである。すると、何かで再び見たり、聞いたりしたときには、頭はパターンマッチングで動く。そして、瞬時に答えが出せるようになるのである。筆者の言う「直観」がまさにこれである。ただし、直感は「覚える」だけでは絶対に不可能である。直観を生むためには、個々の数の具体的な属性を徹底的によく観察して、上位概念にまで登らなくてはいけない。つまり知識化が必要なのである。
たとえば、「25は4が欲しい」「7は3が欲しい」という属性があるのに気づいたら、そこから一段上の上位概念に登って、「数には足し算や掛け算でキリのいい数になりたい属性がある」という知識を引き出すのである。そして、頭の中に「補数」という名前の抽出しを作って個々の属性を入れておく。ただし、抽出しに大事にしまっておくだけでは本当の知識にはならない。その属性を徹底的に使うのである。何度も何度も繰り返し使っていくうちに、いつでも即座に使える、本当に生きた知識ができていく。そこで初めて直観が生まれるのである。