別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

俳句は稽古ごとの性格を持っている

俳句を始めたいと思っているのですが・・・

なかなか一歩が踏み出せません。

俳句をはじめる人のために

俳句をはじめる人のために

 

 

では、実際に俳句らしいものはできたものの、自分の作品は良いのか悪いのか。沢山の実作例や、添削例は読んだものの、あなたの作品が本書の実例に当てはまらない場合があるでしょう。
それが「創作」というもので、百人の人が同じ題で作っても、みんな違う俳句を作る。
出来上がった作品の良し悪し、どこが悪いのか、どういう風に直せばいいかは、その作品を直接、指導者に見てもらうほかないわけです。
指導者もなく、俳句を見せ合う友達もない場合は、結局、作りっぱなしに終わります。

 

俳句は文芸であると同時に、稽古ごとの性格を多分に持っています。手ほどきを受けて1年、2年と修業を積んで行って、はじめて上達するものです。その点では「お花」や「お茶」「謡い」などに似ています。一つの流儀に入門し、先生について、その流派の道を究めるということです。

 

別に指導者を定めたり、結社に入ることもなく、新聞や雑誌に投句したり、俳句大会に顔を出して入選したあげく商品を貰うのも俳句の楽しみには違いありません。
しかし、俳句が上達することとは別です。
私は別に新聞・雑誌の投句や、お祭り的な俳句大会をけなしているわけではありません。私自身が、そんな選者になっているわけです。
ただ、選者・指導者としては、そういう投句者と、自分が直接、指導に当たっているお弟子さんに対してとは、熱の入れ方、愛情の持ち方が違うということです。
できることなら指導者を定め、迷うことなく進んで欲しいと思います。