遠慮会釈なしに他を酷評する峻烈さ
参謀とは何か。
著者は独立型参謀タイプの代表として
石原莞爾を挙げています。
石原莞爾は、日本の国防上並びに国力増強のために、いち早く満州を確保すべしという構想を持っており、板垣(征四郎)がこれに共鳴。満州事変はこの結びつきによって起こされました。◇◇石原は「世界最終戦論」という持論を持っていました。準決勝でソ連とアメリカが戦ってアメリカが勝つはずだから、それまで日本帝国はしっかり満蒙を抑えてじっくり力を蓄え、来るべき最終決戦に備えるべきだと。彼の中では満蒙領有は、その一段階に位置付けられたものでした。◇◇とはいうものの、彼が満州事変で軍律に違反してしながらなし崩し的な成功を収めてしまったことは、勲功さえ立てればどんな下克上の行為を犯そうが、やがては勲章モノとなる、という悪風を陸軍内部に蔓延させるきっかけを作ってしまった。まさに「勝てば官軍」という風潮です、これ以降、陸軍は、命令系統を無視することに頓着しない、謀略優先の集団になり果ててしまうのです。しかも石原が表舞台にいたのは日中戦争の初めまで。対中国戦争不拡大方針を唱える石原は、陸軍中央の大勢を占める拡大派に疎まれて、関東軍の参謀副長に左遷されてしまいます。◇◇結局石原は、外に広げた人脈ばかりを頼り、軍内部に頼れる同志をつくることができなかった。「陸大創設以来の頭脳」と呼ばれた優れた着想を、組織内で実現させる根気にも欠けていました。この独立型の天才は中枢から遠ざけられ、やがて孤高の自信家にすぎなくなってしまったのです。