近頃はたいていそうだよ
著者の人生がうらやましい。
そう思いました。
人生を心から楽しんでいます。
文楽はこうも言った。「聞こえなくても、聞こえたふりをして喋ってますとね。どうしても返事しなければならない時がある。そんなときは、大きくうなずいて、『近頃はたいていそうだよ』と言ってやるんです。これでほとんど用が足ります」これもまたすごい老人の知恵ではあるまいか。じつに上手な年齢の取り方を8代目桂文楽はして見せた。
句会結成時には宗匠以外は俳句と縁がなく、「歳時記」一つ持っていなかったが、みんながみんな落語好きということでは一致していた。だからいざ句会を始めるにあたって、わずかに持ってる俳句の知識は落語から得たものだけということもほとんど一緒だった。三代目三遊亭金馬の「雑俳」を聞いたことのない人はいなかったのだ。
こんな句会が楽しくて、月に一度が待ち遠しく、みんなすこぶる機嫌のいい、絶対に仕事場や自分の家では見せたことのない表情を浮かべて会場に現れる。普段は何かと妥協を強いられ、つまらぬ斟酌に身を擦り減らすことの多い身が、月に一度のほんとうの息抜きの場とあらば、そんなとっておきの表情などこさえてやって来るのもわからないではない。
まるで淫するように競馬場通いしていた時分、夜の時間は寄席で過ごすことが多かった。都内で唯一の下足畳敷だった人形町末広に、都電を乗り継いでよく出かけた。若い男の客が少なくて、たまに見かけるご婦人客にちょっと婀娜っぽい風情が多かったことで、その頃の競馬場と寄席の客席には共通項があったような気もする。