別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

オイルロード

戦争は石油で始まり、石油で決まる。

昭和16年に世界初の石油危機が日本を見舞った。

太平洋戦争開戦の契機は、米国の「石油禁輸」によって、日本が世界で最初の「石油危機」に直面したことである。この「石油禁輸」を受けた当時の日本の石油自給率は、わずか8%、石油の80%は米国から輸入していた。米国は世界最大の石油の生産国・輸出国であり、原油生産量は日本の740倍もあった。

 

石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」 (朝日新書 57)

石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」 (朝日新書 57)

 

 

海軍の強硬派は、対米依存度約80%の脆弱な石油供給の状況を打破して、恒常的に供給が可能な石油資源を確保することを考えていた。このために、意図的に陸軍を巻き込み南部仏印への進駐を実施して、開戦と同時に、蘭領インド(現インドネシア)の石油資源を押さえ、「自存自衛」の体制を作るとの構想をもっていた。この構想を実現するために、第一委員会の石川信吾大佐などが陸軍を「仏印進駐を実行しても米国は石油禁輸を実施しない」と説得して、南進に引き込んだ動きがある。海軍中堅層には、「南進」論を「海軍の戦備充実のための予算・物資獲得策として利用する」との考えと、「米国は年部仏印進駐までは容認する」との願望が根底にあった。しかし、この「南進論」は結果的には太平洋戦争への先導役となった。

 

石川信吾 - Wikipedia

 

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「戦争は米国の物資に敗れた」という戦争指導者、特に軍人が多い。この言葉には「物量があれば勝っていた」との意味が言外にある。しかし、開戦前から日米の物資量の差は周知のことであり、近代戦争、総力戦が国力に基盤を置くものである以上、敗れてから物量論を前面に出すのは戦争専門家として戦争概念の把握が不十分であったことを示すだけで、単なる釈明、弁解に過ぎない。

 

 

 

中東から日本までの「オイルロード」(アラビア湾産油国-----ホルムズ海峡-----インド洋-----マラッカ海峡-----日本間12000キロ)を最新型のマラッカ級タンカーで原油を輸送するのに必要な所要日数は、片道20日、原油の積み降ろし5日を加えて、往復計45日である。

 

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