純粋で俗人離れした異端者の松陰
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は視聴率が上がらないようですが、
私は毎週見ています。面白いと思います。
なぜかといえば、会津の「八重の桜」の時もそうでしたが、
幕末の時代について知っているようで知らないことが多いからでしょう。
吉田松陰がもてはやされるのは、幸福な時代ではないように思う。
松陰は没後、様々な政治的な理由により偶像化された。特に、大正の終わりから戦時中までがひどい。松陰は教え子たちに国家(時の政権)に殉じることを説く愛国心の権化となり、大日本帝国にとって理想的な「教育者」に祭り上げてしまう。「忠君愛国」のシンボルとなり「修身」の教科書にも登場する。もちろん戦争遂行にも、大いに利用される。
松陰が国家にとり、危険極まりない人物であることは確かだ。松陰は3千年続く皇国のためなら、現政権(徳川)が決めた法など守らなくてもよいと、平然と言ってのけ(安政元年12月5日、杉梅太郎宛て書簡)、実行してみせる人物なのである。そのままでは国家が進める修身の教育になど、到底使える人物ではない。それでも、都合の良い部分だけを切り取り美談にすり替えられて、「尊王愛国」のシンボルに祭り上げられて、戦争遂行にも大いに利用されてゆく。「松陰精神」「殉国教育」などの言葉も生まれる。
松陰を祭り上げた長州藩は暴走の末、「禁門の変」で敗れて朝敵となり、壊滅寸前まで追い込まれた。引き続き松陰を祭り上げた大日本帝国の末路については、あらためて述べるまでもない。