茶室は・・・聖堂である。
茶室は簡素にして俗を離れているから真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である。ただ茶室においてのみ人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる。
16世紀日本の改造統一にあずかった政治家やたけき武士(もののふ)にとって茶室はありがたい休養所となった。
17世紀徳川治世のきびしい儀式固守主義の発達した後は、茶室は芸術的精神と自由に交通する唯一の機会を与えてくれた。偉大なる芸術品の前には大名も武士も平民も差別はなかった。
今日は工業主義のために真に風流を楽しむことは世界至るところますます困難になっていく。われわれは今までよりもいっそう茶室を必要とするのではなかろうか。
老子いわく「天地不仁(仁ならず)」。
弘法大師いわく「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」。(秘蔵宝鑰 序)
われわれはいずれに向かっても「破壊」に面するのである。上に向かうも破壊、下に向かうも破壊、前にも破壊、後ろにも破壊。変化こそは唯一の永遠である。
何ゆえに死を生のごとく喜び迎えないのであるか。この二者は互いに相対しているものであって、梵(ブラーマン/インドの波羅門教における最高原理)の昼と夜である。
「三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し(くら)し」
昔読んだ石ノ森章太郎のマンガに出ていた言葉です。
とても印象に残っています。
内容は忘れましたが、たしかタスマニアに関係したマンガでした。