小さな子を決していじめず、大きな子に背を向けなかった
イギリスの少年トム・ブラウンの「小さな子を決していじめず、大きな子に背を向けなかった奴という名を残したい」という子供らしい願いを見て、私たちはほほえむだろう。しかし、これこそ壮大な規模の道徳的建築が築かれる礎石であることを、知らない者がいるだろうか。最も穏やかで、最も平和を愛する宗教でさえ、この願いを認めているのではないだろうか。このトムの願いこそ、偉大なイギリスの大半が建つ基礎である。そして武士道も、この礎石の上に建っていることが、やがてわかるだろう。
嘘やごまかしは、ともに卑怯とみなされた。武士は、みずからの社会的地位の高さゆえ、商人や農民よりも高い水準の信を要求されると考えた。「武士の一言(いちごん)」----サムライの言葉、あるいはドイツ語で言う「リッターボルト(騎士の言葉)」と全く同じ意味----は、その言葉が真実であることの十分な保証であった。
私は一知半解の外国人の間に皮相な見解が広まっていることに気付いている。----日本人は自分の妻を「荊妻(けいさい)」などと呼んでいるから、妻は軽蔑され尊敬されていない、というのである。しかし、「愚父」、「豚児」、「拙者」などの言葉が日常使われているのを告げれば、それで答えは十分明らかなのではないだろうか。
武士道は、無意識のうちにも抗しがたい力となり、国民そして各個人を動かしてきた。近代日本のもっとも輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が、処刑の前夜に詠んだ次の歌は、日本民族の偽らざる告白であった。
かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂