別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

「話し方」なんて勉強しなくていい

 

間の取れる人 間抜けな人 人づき合いが楽になる (祥伝社新書)

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だから、話題がないときは、仏頂面で黙ってるところからスタートすれば、相手が話の接ぎ穂を探してくれるものだ。「間」に耐えられなくて、無理してしゃべるのは愚の骨頂。そんな失敗から「自分は話し下手」と決めつけて、会話の前からオドオドするのは、墓穴を掘り続けるようなものだ。「あがり症」も同じ。ただただスロースターターなだけなのに。ワークショップでもそう。「言葉」がすぐに出てこない人や、「見学です」と、車座にも加わらなかった内気な参加者が本領を発揮しだすのは三日目ぐらいからで、初日の張り切りマンが失速しだすのも同じころだ。

 

誰でもみんな「我思ううえに我あり」と思って、自分の思い込みを抱えてそれぞれの時代を生きているのだ。実際には「我思う」が、時代や何かによる「洗脳」かもしれないのに、そんなことにはなかなか気づかず、自分の思いを周囲にまき散らす。
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個人が「我あり」にしがみつく様を、外見の違う何人もを演じることにより、それぞれの自己主張を「どいつも、こいつも」と相対化させているのだ。「みんな一生懸命に生きてるのがわかりました」という観客の善意の感想も、裏を返せば「みんなわがままに生きてるのね」につながる。