別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

適切に「ぐれる」

 

ぐれる! (新潮新書)

ぐれる! (新潮新書)

 

 私は6歳のころからもうじき死んでしまうのだから、何をしても虚しいと感じながら生きてきました。

そして、そのまま50年が経ってしまった。

 

ぐれるとは、こうした世の風潮に真っ向から対立して、理不尽をいつも見つめて生きるということです。理不尽を一滴もごまかさずに、味わい尽くすということです。

 世の中は理不尽だらけ。学校ではそんなことは教えない。

 

だが、ブスの研究、いや体験学習にかけては、林真理子の右に出る者はいない。「ルンルンを買っておうちに帰ろう」や「美女入門」の9割はブスの苦しみや美人に対するあこがれを素直に吐露する言葉で占められている。

 

 

ハプスブルク家には、立派な先代のためにぐれた皇帝や皇太子が少なくない。その典型は、マリア・テレジアの息子ヨーゼフ二世とフランツ・ヨーゼフ一世の息子ルドルフでしょう。

 

広大な宇宙の中にわずか80年という時を与えられてカゲロウのように生きてきた自分も、「自分が生きた小さなしるし」を刻んで死んでいける。これはなんと幸せなことであろう。
死の床で、こうつぶやく奴は、正真正銘のバカです。このすべては、完全な錯覚なのですから
しかし、たいそう不思議なことに、現代日本の価値観はほぼここに、
----つまり仕事に生きがいを感じそれによって他人をも幸福にする、
-----というところに凝縮される。こうした有用な仕事を見いだすことが、最高の生き方であるかのような通念が行き渡っている。だから、これを徹底的に避けることはぐれることになってしまう。

そうそう、通念です。私もそう思っていました。価値観を洗脳されていました。

 

40歳のころから油絵を始めました。一心不乱に15年間油絵を描き続けてきたというのではなく、◇◇その絵画教室の中でも飛び切りの劣等生として今なお在籍しています。◇◇油絵を続けている理由のひとつは、自分が描いた油絵が好きだから。◇◇自分では「とてもいい」と思っているのです。◇◇仕事中心主義から離れるためには私の油絵のように◇◇好きなことを見いだすことが肝心です。

なぜかというと、そうしたものに支えられて適切に「ぐれる」ことができるからです。

 ここのところは大変参考になります。好きなことを見いだすことが肝心ですね。

 

創世記の中に登場するカインは、まさに神様に対してぐれた男です。弟のアベルが神様に褒められ、自分は褒められなかったから彼を殺してしまった。