インチキな自己責任の論理
著者のいう「自己責任」とは、
自由の対価としての責任ではなく、「オレは責任をとらないよ」と弱者に責任を押し付ける保身と欺瞞の言語。それが「自己責任」です。
ところが不思議なことに人間というものは、寝たきりになってしまうと生きたくなるものなのです。以前、テレビの楽屋でビートたけしさんが、感慨深げにこう私に言ったことがあります。「和田先生、寝たきりになってまで生きていたくないなんて、嘘だよな」私は「いや本当にそう思いますよ」と言いました。たけしさんのお母さんは、元気な時は、「たけし、寝たきりになったら殺しておくれ」と話していたのに、いざ寝たきりになるとこう言ったのだそうです。「たけし、医者に礼を払っているか?」要するに、人間は、「寝たきりになっても生きたい」というわけです。寝たきりになる前は誰だって、寝たきりになってまで生きていたくないと思うわけですし、認知症になってまで生きていたくないと思うものです。しかし、それはあくまで元気なときの想像なのです。しかも、自分の意志が後で変わるかもしれません。