先達の言葉
再読です。
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筆者は2011年3月23日、震災直後にあとがきを書いています。
横井湘南は幕末維新期の熊本藩士。坂本龍馬は偉く見えるが、その思想はこの横井湘南と勝海舟の受け売り。当時、横井ほどの見識人はいなかった。◇◇私たちは龍馬ブームに惑わされて本筋の歴史理解を忘れてはならない、と思う。
秋山好古は晩年、郷里の中学校長になった。陸軍大将までやった人が中学校長になるのは異例で皆驚いた。だが、彼には考えがあった。日本の強みは格差が少なく「中堅」がしっかりしているから。<中東階級無くては国は亡ぶこと、歴史の示す処>であり、ローマもロシアもこれで亡んだ。<中学教育は国の中堅人物を養成するもの>であり自分はこれに従事する。
馬越恭平。日本のビール王。「いかなる大事でも誠心誠意、私心を挟まず心を配れば必ず局面展開の道がある」
柳田国男は民俗学の祖。おそらく柳田の念頭には薩摩藩の郷中教育があった。薩摩には「詮議」と言って児童の判断力を鍛える教育方法があった。例えば「殿様の用事で急ぐ場合、早駕籠でも間に合わぬ時はどうするか」と子供に問い、答えさせる。普段から仮定の質問に答え対処法を考える訓練をしていた。これによりいざという時の処置判断を誤らせない。西郷隆盛も大久保利通もこの教育で育った。幕末の混乱期、最も見事な政局判断を見せたのは、彼ら薩摩藩の面々であった。