別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

オジイチャンと呼ばれて動揺

説教らしき言葉はほとんどありません。

あくまで自分が主体のエッセイです。

昭和7年生まれの筆者が

「老い」に関する日常を語ります。

 

老いのかたち (中公新書)

老いのかたち (中公新書)

 

 

老いは、自分の内側から訪れるというより、むしろ他人によって運ばれてくる。多くの人が語ったり書いたりしているが、乗り物の中で若い人から初めて座席を譲られた時の衝撃は容易に忘れがたいものがある。相手の親切に感謝はするけれど、その時こちらも相手の目で自分を眺めることとなる。老いた人物が疲れた表情で吊り革につかまって立っている光景が浮かんでいる。行為を素直に受け入れられるようになるまでには、老いの自覚といった手続きが必要であるらしい。

 

--------ほらオジイチャンにコンニチハしなさい。コンニチハ、できるでしょ。
子供とこちらに等分に話しかけるような口調だった。それを聞いた瞬間、幼児との交流と友情は打ち切られた。誰が悪かったのでもない。誰かが間違ったのでもない。若い母親にこちらがオジイチャンと呼ばれるのを聞いた途端、自分がドンと突き放されて急に老人の姿に変わったような気がしてしまったからだった。その前の自分は、ではオジイチャンではなく何であると思っていたのか。零歳児と対等に目で話し合っていたのだから、こちらも年齢は無いようなものとでも感じていたのか。