ガリレオは恩知らず
ガリレオやニュートンの発見した業績をよくご存じの方でも、
この著書にある「ガリレオは恩知らずで、ニュートンは20代で余生を迎えた」等の
そんな性格や人柄や人生を知っている人はどのくらいいるのでしょうか?
つまり、ガリレオやニュートンの発見した偉大な業績を考えれば、
当時、ガリレオやニュートンが世の人に好かれようが嫌われようが、
今となっては、それはまた別の話で直接関係があるようには思えません。
偉大なる科学の発見者、あるいは偉大なる発明家といわれる天才たちの
このような裏面史(知られざる素顔)を読むときにいつも思い出すのは、
あの青色LEDの開発者で、ノーベル物理学賞受賞者中村氏です。
どちらが正しいとか正しくないとかは別にして、受賞後も元在籍した会社との
発明の対価をめぐる訴訟(2005年に約8億円で和解)によるしこりは残ったまま。
結局、直接面談等の仲直りは果たせませんでした。
しかし、今やLEDの発明は、
中村氏の性格や人柄を超えて全世界に影響を与えています。
天才たちの科学史―発見にかくされた虚像と実像 (平凡社新書)
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同時代人であったガリレオとケプラーの触れ合いは、何百年に一度、惑星が天空の一角で接近するのに喩えられる。この科学分野の二つの巨星の出会いは、真摯なケプラーに対する不誠実なガリレオと言う最悪の組み合わせとなり、何物をも建設的に生み出すことはなかった。もしも二人が協力し合うことができたら、彼らはニュートンに先立って万有引力を発見していたかもしれない。
ニュートンの晩年に起こった大事件は、ドイツのゴッドフリート・ライプニッツとの<微分積分法>発見の先取り権争いであった。ライプニッツはアリストテレスの再来と言われ、広汎な分野に足跡を残した巨人である。彼はニュートンに4年遅れて1646年ライプチヒで生まれた。彼の父はライプチヒ大学の哲学教授、母も教養のある人であった。彼はライプチヒ大学で法学を修め、マインツ選帝侯の外交官としてパリに滞在中、数学の知識を身につけ<微分積分法>を1675年に発見し、間もなく公表した。
そういえば、前に発明家の人生も読みました。