別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。

孔子は、詩と音楽を深く愛した。

うたうだけでなく、楽器も演奏したようです。

「子曰わく、由(ゆう)の瑟(しつ)、奚為れぞ(なんすれぞ)丘(きゅう)の門に於いて為さん。門人、子路を敬わず。子曰く、由は堂に升れる(のぼれる)も、未だ室に入らざるなり。」(「瑟」:琴の類だが、25絃ある大楽器)

 

論語入門 (岩波新書)

論語入門 (岩波新書)

 

 

子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

 

やみくもに読書をしたり、また先生から次々に教えを受けるだけで、自分の頭で考えないと、詰め込んだ知識が増えるばかりで「罔し(くらし)」、すなわち焦点ボケしてまとまらず、混乱に陥ってしまう。かといって、ただ思索にふけっているだけで学ばないと「殆し(あやうし)」、つまり独善的になって客観的なとらえ方ができなくなり、はなはだ危うく不安定だというのである。

 

子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼。

子曰わく、父母の年は知らざるべからず。一は則(すなわ)ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)れる。

 

子曰、「参乎、吾道一以貫之」。曽子曰、「唯」。子出。門人問曰、「何謂也」。曽子曰、「夫子之道、忠恕已矣」


子曰く、「参(しん)や、吾が道一以て之を貫く」と。曽子曰く、「唯(い)」と。子出(い)づ。門人問ひて曰く、「何の謂(いひ)ぞや」と。曽子曰く、「夫子の道は、忠恕のみ」と。

 

「忠」は自分に対する誠実さ、忠実さの意であり、「恕」は「忠」を他者に及ぼしたもの、すなわち思いやりと愛情である。この「忠恕」の感情を統合すると、「仁」になると思われる。孔子の原点が自他に対する誠実さと思いやりであったことを如実に示す条である。

 

 

曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、人以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎。


曾子(そうし)曰わく、士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任(にん)重(おも)くして道遠し。仁(じん)以て己が任と為す、亦(また)重からずや。死して後已(や)む、亦遠からずや。

 

子曰、「歳寒、然後知松柏之後彫也」。

 

子曰く、「歳(とし)寒くして、然(しか)る後に松柏(しょうはく)の彫(しぼ)むに後(おく)るるを知るなり」と。

 

「松柏」:常緑樹の代表。

「彫」:「凋」に同じで、(しぼむ)。草木がなえしなびる意。