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別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

墓は「買う」ことができない

そうたびたび身近にあることではないので、

知らないことが多いのはやむを得ません。

 

今現在も日本のどこかで行われている葬儀は、

日本社会の現実が投影されています。

この本を読むとよくわわかります。

 

冠婚葬祭でモメる100の理由 (文春新書)

冠婚葬祭でモメる100の理由 (文春新書)

 

 

迷うなら一番高い松を選ぶべきです。コースの価格の違いは、主に祭壇がどの程度豪華なものかによって決まります。豪華な祭壇を選んだからと言って、それで個人が速やかに往生できるというわけではありません。ただ、問題は葬式を出す側の気持ちです。価格の異なるコースを提示されたときにどれにしようかと迷うのは、世間体や見栄を意識するからです。もし、できるだけ安くあげようと考えるなら、迷わず梅を選ぶでしょう。迷うということは、一番高いものでも支払える経済的な余裕があるからに違いありません。世間体や見栄を考えているなら、一番豪華な祭壇を選んだほうが後で後悔することもないでしょう。

 

 

最近では密葬のことを家族葬と言うことが多くなりました。家族葬が選択されるのは、故人が高齢で、ほとんど参列者が見込まれない場合か、個人や遺族の意思で、参列者に迷惑をかけたくない、葬儀を大げさにしたくないという場合です。前者であれば、葬儀の後に弔問客が自宅を頻繁に訪れるということはほとんどありません。

 

香典で困っている人の話を聞いたことがあります。◇◇現在は葬儀の簡略化が進んでいて、参列者の数もかなり減少してきています。亡くなる方の多くが高齢で、社会的な関係が既に切れているからですが、仕事上の付き合いで葬儀に参列するということも次第に少なくなってきています。その点では、プライベートな関係が無い方の葬儀であるなら、無理に参列しなくてもよくなっています。家計に響くなら、香典の額を少なくするなり、参列を遠慮するなり、防衛策を考える必要があります。

 

いくら、事前に安らかな死を迎えようと準備していても、それがかなうとは限りません。いつ、どういった状態で訪れるかがわからないのが人の死という出来事です。定年から死を迎えるまで、20年から30年の月日が残されています。人生50年と言われていた昔の感覚からすれば、まだ人生は半分残っているということになります。定年の段階で自分の死に対して準備するというのは、まだ早すぎます。

 

一般にこの「弔い上げ」は、三三回忌までとされています。◇◇十七回忌で十分と感じられれば、供養する側が疲れてまでその先をする必要はありあません。最後のけじめとして、次の二十三回忌を盛大に行い、それで終わりにしてはどうでしょうか。

 

一般の墓は、その墓を守ってくれる人間がいることを前提にしています。墓をもとめたときには永代使用料を支払いますが、これはあくまでその墓を使い続ける権利を得たということで、ほかに毎年管理料を支払うようになっています。こうした仕組みは、法的に規定されているわけではありませんが、墓を管理する人間がいなければ、管理料が支払われなことで、その墓は「無縁墓」になってしまい、お寺の側も困ります。◇◇それに墓は「買う」ことができないということも前提にあります。寺は宗教法人として認証されていて、墓地はその宗教法人の土地です。その寺の檀家がその墓地に墓を設けることになりますが、あくまで墓を設けるという宗教上の目的のために檀家に使用を許すのであって、勝手にそこを別の目的で使われたり転売されたりすれば、宗教法人の運営に支障をきたします。そこで墓は買うのではなく、あくまで使用する権利を得るわけでです。慣例として「墓を売る」という表現も用いられますが、そもそも実際には売っているわけではないのです。

 

遺産相続という話になってくると、冠婚葬祭の枠から外れます。ただ、こうした話が、親の葬儀を契機に出てくるということで、無視できない事柄です。これは遺産相続の問題についても共通して言えることですが、冠婚葬祭は戦いです。しきたりという一応の原則はあるものの、それに対してどこまで忠実に従うべきなのか、しきたりにも幅があるため、解釈が分かれます。そのため、冠婚葬祭にかかわる人間は、なるべく自分に有利になるように解釈しようとします。冠婚葬祭には、家族や親族といった当事者に極めて近い立場にある人間がかかわってきますので、解釈をめぐる対立は深刻なものになり、そこに激しいバトルが繰り広げられることになります。こうした局面において求められるのは、戦いに臨む覚悟です。しかも戦いは複雑なもので、戦略も戦術も必要です。特に現代の社会における介護は、その先に死や葬儀、墓や遺産相続というどれも金がからむ問題が控えているので、あらかじめ相当な覚悟を決めておかなければなりません。覚悟が無ければ、この厳しい戦いに勝利することはできません。