別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

発明家の苦闘

名前は聞いたことがあるし、

知っていたつもりだった発明家たちが

本当はあまりよく知らないことが多くて、

いろんな出来事があったと分かります。

 

近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術 (岩波新書)

近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術 (岩波新書)

 

 

ヨーロッパからアジアへと向かう船は、最初アフリカ大陸沿いに進み、ある地点からまっすぐ南下する航路をとった。自船の位置を確認しながら航行する方法は、そのような航法に限られたからである。陸から離れた船が頼りにするのは、太陽や星の動きである。その高さの変化を計測し、位置を知る。ただし、それは赤道からの距離を表す緯度である。このような天体観測をしても東西方向の位置を表す経度を知ることができない。

◇◇

時計職人であったジョン・ハリソンがこの経度測定の問題を意識するようになったのは1727年ごろ、30代半ばのことである。

 

1765年の初夏のある日、ワットはグリーンと呼ばれる河畔の公園まで散歩に出かけた。そのとき、問題を解決するためのヒントがひらめいた。彼は後の回想で次のように語っている。
私は機関のことを考えながら歩いて行き・・・ハード・ハウスまで行ったとき、ふと考えが頭に浮かびました。蒸気は弾性体だから、真空の中へ突進するはずだ。もしシリンダーと排気した容器を管でつなげば、蒸気は容器の中へ突進し、シリンダーを冷やさなくてもそこで凝縮するだろう・・・。(クラウザー「産業革命期の科学者たち」)

 

裁判の争いに明け暮れた1880年代以降、ベルは比較的平穏で裕福な生活を過ごすことができた。アメリカの特許に加えて海外でも特許を取得しそこから莫大な収入を得た。◇◇聾唖教育にも力を注ぎ続けた。後半生で忘れられtない出来事はヘレン・ケラーとの出会いである。ヘレンの父親が6歳のヘレンを連れてベルのもとを訪れたのは1886年のことだった。ベルはケラーにボストンのパーキンス盲学校に行くことを勧め、そこで彼らはアン・サリヴァンという卒業生に出会う。この運命的な出会いにより、自己中心的だった盲聾唖の6歳の子供は知性と感性の豊かな女性へと成長していった。

 

ライト兄弟は飛行実験により、設計したグライダーが計算通りの揚力(翼に働く力の上方向の成分)を発揮していないことに気づいた。計算では期待と人間の重量を支えるのに十分な揚力が得られるはずなのに、得られない。その原因はどこにあるのか。
二人は翼の空気力学的な性能について、リリエンタールの実験データを主に参考にしていた。計算通りの性能が発揮できなかったのは、リリエンタールのデータが誤っていたせいなのだろうか?その原因を突き止めることはできなかった。