ハプスブルクは汎ヨーロッパ的だった
ヨーロッパの歴史ものは
少し硬めな研究書的なものが多いのですが、
この本は読み物風で
中世の時代背景と人間模様を想像させてくれます。
読みやすく面白い。
ふつう国家が近隣国の領地をかすめ取るときには、武力が用いられる。相手が弱いとみれば強引に侵略する。世界史上の戦争のほとんどが、この部類である。ところがハプスブルクはそのような野暮な、武骨者の用いる手段はとらない。もっと雅な方法で、もっと穏和に、もっと効率的に、他人が苦心惨憺して作り上げた国家を、まるでつまみ食いでもするように頂戴する。すなわち愛の力によって、結婚によって。
「私はドイツへは9度、スペインへは6度、フランスへは4度、アフリカとイギリスへは2度づつ渡り、また去った」カール五世ほど自ら問題解決のために西から東へ、又南から北へと旅をし続けた君主は稀有であろう。ヨーロッパの地図を開いて、この皇帝の行動範囲を探ってみるとそれがほぼ次の7都市を結ぶ線の域内に包含されていることがわかる。マドリッド・ロンドン・ヴィッテンベルク(東ドイツ)・ウィーン・ナポリ・チュニス・アルジェ。