別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

考え方を変える、からくりを変える、教育を変える

再読です。

今年の私自身の読書大賞がもしあれば、

この本です。

述べられていることは自然で無理がありません。

様々な余計なフィルターをはずして考え抜くと、

より本質に近づいていくということです。

事の本質は何か、本質をつかむためにどうするのか。

あらためて学ぶことの多い本です。

 

 

技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道 (講談社現代新書)

 

 

私は2011年東日本大震災による福島第一原発の事故後、政府の事故調査委員会の委員長を務めました。
その活動の中で驚いたのは、原子炉の中の状況を示す数値が解析プログラムによってそれぞれ異なるので、事故当時何が起こっていたかをきちんと把握できなかったことです。ちなみにこうした解析プログラムはすべてアメリカが開発したもので、日本が自前で開発したものは一つもありませんでした。
解析プログラムによって数値が違うのは、それぞれが考えているモデルが違う上に、どのパラメーターを重視するかなど判断基準が違うからです。だから例えばメルトダウンまでの時間を計算しようとしても、同じ数字を入れたところでプログラムごとに異なる分析結果が出てきます。前提としている条件が違えば、同じ数字を入れても違う分析結果が出てくるのは当然のことです。
それよりも私が驚いたのは、日本には自前の解析プログラムがなかったことです。それはつまり、日本の原発は、自分の頭の中に事故のモデルすら持っていない人たちによって運営されていたことを意味します。
じつは、日本が自分たちより下に見ている韓国は、自前で開発した解析プログラムを持っています。以前他国に原発を売り込んだときにアメリカと競合し、自前の解析プログラムがないことが敗因になったのがきっかけで作り始めたそうです。韓国がUAEとの契約を勝ち取ることができたのは、自前の解析プログラムを持っていたことが決めての一つになったようです。

 

 

残念ながら日本の制度は、まだまだ遅れている部分があります。しかし、それは過渡期だからで、遅れている部分、悪い部分があるなら、それらを解決していけばいいだけのことです。完璧な状態が与えられることを与条件と考えて文句を言うことにエネルギーを注ぐよりも、遅れている部分や悪い部分の解決に力を注ぐほうがより建設的です。問題点が何かわかっていれば、解決策は必ず見つかります。

 

エレクトロニクス産業の敗因は、投資の方法を間違えたことだと言われていますが、それだけではありません。グローバル市場で戦うには、投資の規模をそれまでの10倍にするとか、製品を企画してからのリードタイムを大幅に短縮するといった、従来と異なる戦略や戦術が必要でした。しかし多くの日本の企業は、周りの状況の変化に対応せず、それまで自分たちが慣れ親しんだやり方で戦っていました。そのことが結果的に、自分たちを追い詰めることになってしまったのです。
この間に韓国や中国など新興国の企業が急成長を果たし、日本の企業を脅かすどころか、立場を逆転させました。これを可能にしたのが、ものづくりの世界で急速に進んだ「デジタル化」という革命的な変化でした。デジタル化がもたらした生産のモジュール化によって、既存の汎用部品の組み合わせである程度の品質のものが、「いつでも、どこでも、だれでも」、簡単に作ることができるようになったのです。これによって日本のものづくりの強みだった生産技術の高さが、競争を優位に進めるための武器にならなくなってしまいました。

 

トヨタの生産方式としてよく知られたものに「ジャスト・イン・タイム」があります。必要なものを必要な時に必要な量だけ生産することで、経済効率をできるだけ高めている生産方式です。これを闇雲に真似する企業があるようですが、これはトヨタのように強い会社だからできることです。多くの会社がそのまま導入してもうまくいくとは思えません。
もちろん良いところをどんどん取り込むのは悪いことではありませんが、自分たちがどんな企業であるかを考えたうえで、役に立ちそうな部分を導入するほうがいいのではないでしょうか。そういう検討を怠るのは、思考停止状態に陥っているからです。会社を挙げてそのようなことをしているとすると、それは危機管理能力が皆無というのと同じではないでしょうか。

 

近年の日本の製品は、機能がどんどん増えて、その結果、高い価格設定がなされているのが一つの特徴になっています。しかし、そういうものはほとんど相手にされないと考えたほうがいいでしょう。
かつて日本の消費者も同じ道を辿ってきましたが、初めて製品を使う人には、基本的な機能があれば十分です。自動車は走ればいいし、洗濯機は洗って絞ることができればいいのです。便利な機能が必要になるのは、製品にある程度慣れてからで最初は便利さよりも手ごろな価格で入手できることのほうが喜ばれます。そうした製品は、すでに部品から完成品までをすべて新興国で作れるようになったので、日本から輸出する必要はありません。つまり工業製品も今は、地域で生産して地域で消費する「地産地消」が世界の趨勢になっているわけです。そこで必要となってくるのは、機能を充実させることよりも、その国の文化を知り、その国の文化に合った製品を作ることで、その国の消費者の圧倒的な支持を集めることなのです。

 

iPhoneの基本的なアイデアソニーなどの日本のメーカーも持っていた。しかし自分の頭で確信をもって、これからの社会の動き、人々の欲求を考えながらビジネスモデルまで含めて考え抜き、賭けをしたのはジョブズだった。そこが決定的な差です。
削り出して本体の枠をつくるという方法は、日本のメーカーだったら絶対に採用しないでしょう。これは生産技術を中心に考える人からすると、コストのかかるムダなことだからです。しかしそれを採用することで、アップルならではのシンプルで洗練されたデザインが実現されたのです。
このような判断は、今までの日本企業がやってきたような、価値よりも機能や生産品質を重視する考え方や、近年の経営で流行している短期的なROE(Return on Equity 株主資本利益率)を求めるMBA的な経営からは、決して出てきません。しかしこれでは、世界で競争できないつまらない商品しか生み出せないのではないでしょうか。そうしたことを判断できる人間を育てられるかどうかは、今後の日本企業にとって、業績を左右する決定的な事柄だと思います。

 

 

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