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別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

「本当のこと」は取扱注意である

ここまで言ってもいいのだろうか、

というくらい気持ちよく言ってくれる先生です。

医者は神様ではない、という「本当のこと」を突き付けられます。

読む人はあらかじめ心の準備が必要でしょう。

 

医者と患者のコミュニケーション論 (新潮新書)

医者と患者のコミュニケーション論 (新潮新書)

 

 

医者と患者のコミュニケーション論 (新潮新書)

 

 

癌の患者さんに病名告知を行うのは、今となってはごく当たり前になってしまったようである。
以前は「本人に癌だと言うなんてとんでもない。信じられない」という見解が一般的であった。これはついこの間までそうだったから、読者諸賢にも覚えがおありだろう。私は比較的早くから病名告知を行ってきた医者の一人で、その経緯の一部は本文にも書いたが、随分と抵抗も強かった。田舎者である私の母は、「お前は人非人か」と言わんばかりに私を非難していた。

 

考えてみれば、昭和の時代、癌の病名を隠すのだって、医者は「患者のためを思って」そうしていたのである。その時の患者と今の患者が、どこがどう違うというのだろう。同じ患者に対して180度違うアプローチをすれば、どこかに軋みが出てきて当然である。

 

進行癌の患者さんに「治らない」ということを、最初の段階で説明した。これについてはかなり明確に、間違いのないように話したはずで、患者も家族もよく理解したと思われる。その証拠に、患者も家族も涙ぐんでいた。そしてその上で、治療を開始した。
ところがその治療は、予想以上に順調に進み、レントゲンやCTでも腫瘍の陰影は著名に縮小し、場合によっては消えたようにも見える。もちろん患者は無症状で、仕事も再開したりしている。
細かく言うと、こういう寛解」状態には二通りあって、某かの抗癌剤を飲み薬で続けたり定期的に点滴したりしている維持療法中の患者と、完全に治療をいったん中断して経過を見ているだけの患者がいる。しかし前者の場合も、維持療法が順調であれば患者はほとんど副作用を感じないことも多く、また後者であっても患者は通院しているのだから、みかけ上はあまり変わらない。
現代の癌医療では、こういうのは一つの理想形である。つまり、高血圧や糖尿病のように「治ってはいない」(なぜならば、患者は定期的に通院して検査も受け、また薬も処方されたりしている)のだが、慢性疾患として「さしあたってどうこうということはない」状態に持ち込めているのだ。