君良く我を知る――君を知る また我にしくは無し
誰よりも我(海舟)が君(西郷)のことを知る。
「君を知る亦(また)我に若くは莫(な)し」
西郷が西南戦争で敗死した翌々年に建碑。
碑の表は西郷の詩、裏が海舟の文。
海舟の西郷にあてた海舟の文の最後の部分。
「ああ君よく我を知れり、而して君を知る亦我に若くは莫し。
地下もし知る有らば、それ将に掀髯(きんぜん)一笑せんか。」
明治12年6月 友人勝安房誌す(しるす)
※掀髯(きんぜん)くちひげをうごかして
誰よりも我(海舟)が君(西郷)のことを知る。
「君を知る亦(また)我に若くは莫(な)し」
西郷が西南戦争で敗死した翌々年に建碑。
碑の表は西郷の詩、裏が海舟の文。
海舟の西郷にあてた海舟の文の最後の部分。
「ああ君よく我を知れり、而して君を知る亦我に若くは莫し。
地下もし知る有らば、それ将に掀髯(きんぜん)一笑せんか。」
明治12年6月 友人勝安房誌す(しるす)
※掀髯(きんぜん)くちひげをうごかして