別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

東日本の県と比べて西日本の県は「小さい」わけ

浜通り中通り地域などと文化の異なる会津

なぜ福島県なのか不思議でしたが、

この本を読んでやっとわかりました。

 

日本の医療格差は9倍 医師不足の真実 (光文社新書)

日本の医療格差は9倍 医師不足の真実 (光文社新書)

 

 

日本の医療格差は9倍?医師不足の真実? (光文社新書)

 

 

実は、我が国の医師の分布は「西高東低」です。人口当たりの医師数は、四国・中国・九州地区に多く、関東圏が最低レベルです。
関東の中で、確かに東京の医師数は多いのですが、埼玉・千葉・茨城・神奈川は全国最低ランクです。
医師が一番足りないのは関東地方だなんて、多くの読者のイメージとは正反対ではないでしょうか?
ではなぜこのようなことが起きてしまったのでしょうか。それは医師養成機関である医学部が、圧倒的に西日本に偏在しているからです。

 

このようにして明治政府は、西国雄藩のお膝元、あるいは自らが優先的に開発しようとした地域には、集中的に予算を投下していきます。九州だけでも三つもの官立大学医学部があるのに、東京と札幌を除くと、東日本には新潟、仙台、千葉の3地域にしか官立の医学部を設けませんでした。この結果、名門の医学部が西日本に偏在することになったのです。この歴史が現在に至るまで、医師の「西高東低」という形で影響しています。

 

 

もちろんこれだけで現在の医師の偏在は説明できません。次に影響した要因として、東日本の県と比べて西日本の県は「小さい」ことがあげられます。
◇◇
どうしてこのようなことが起きてしまったのでしょうか。
それは幕末の戊辰戦争で西国雄藩を中心とする官軍が勝ったからです。勝者はそのまま独立を維持し、敗者は周辺の藩と合併させられて一つの県になりました。例えば、鹿児島県は旧薩摩藩(島津家)だけで構成されています。高知県は旧土佐藩(山内家)、徳島県は旧阿波徳島藩(蜂須賀家)も同様です。東日本にも旧仙台藩(伊達家)だけで構成される宮城県など例外もありますが、基本的に多くの藩が合併することで一つの県が生まれました。
その典型が福島県です。そもそも、福島県浜通り中通り会津という、気候も風土も全く異なる三つの地域が合併してできた県です。幕末には11の藩が存在しました。その最大の藩が会津藩(28万石)です。戊辰戦争の後は板倉藩(3万石)の城下町であった福島に中心を移します。従来新潟と交流のあった会津、仙台と交流のあった相馬地方などと合併したのですから、いまだに県としての一体感がありません。