李白の時代
時に744年の夏。李白44歳、杜甫は33歳でしたが、出会った二人は、高適という詩人も途中で加わって、秋からほぼ1年というもの、いまの河南省や山東省のあたりを旅することになるのです。
二人は一緒に旅した仲だったんですね。
李白の友人に阿倍仲麻呂がいたことを、ご存じでしょうか。仲麻呂は遣唐使の随員でしたね。717年に入唐し朝廷に仕えること35年、56歳の時に帰国の船に乗ったものの、船が嵐で難破し、ベトナムに漂着したまま、消息が分からなくなってしまいました。李白は、てっきり仲麻呂が死んだものと思い込み仲麻呂を悼む詩を作ったのです。仲麻呂はの中国名で、晁衡といったそうで、長安では有名な官僚だったと言われています。
「晁卿衡を哭す」(ちょうけいこうをこくす)
日本の晁卿 帝都を辞し(にっぽんのちょうけい ていとをじし)
征帆 一片 蓬壷を繞る(せいはんいっぺん ほうこをめぐる)
明月帰らず 碧海に沈み(めいげつかえらず へきかいにしずみ)
白雲 愁色 蒼梧に満つ(はくうんしゅうしょく そうごにみつ)
李白「月下独酌」
花間一壷の酒、
独り酌んで相親しむもの無し。
杯を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲を解せず、
影徒らに我が身に随う。
暫く月と影とを伴い、
行楽須らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊し、
我舞えば影零乱す。
醒むる時ともに交歓し、
酔うて後は各々分散す。
永く無情の遊を結び、
相期す遥かなる雲漢に。