97年のIMF危機以降
韓国で最大発行部数の朝鮮日報の記事を収録。
「サッカーも負けたからカネをくれ」という天真爛漫な発想はそれ以降も続いた。林昌烈副首相がIMFへの支援要請を発表した際、最初に出た言葉は「韓国が危険であれば日本にも打撃だ。だから助けてくれなければいけない」だった。韓国の危機が日本に影響を与えるという言葉は正しい。しかし、そうだとしても一国の副首相が「私が崩壊すれば、あなたも(具合が)よくないでしょう」というのでは「当たり屋恐喝団」とどこが違うのだろうか。(朴正勲東京特派員 1997年12月)
中でも私たちの胸をえぐるのは、伊藤博文と豊臣秀吉の「冥途での対面」を描いた漫画だ(1910年11月1日)。伊藤が安重根の銃弾に当たって冥途に行くと、300年余り前、朝鮮を侵略した豊臣秀吉がうれしそうに迎えてぞっとするような会話を交わす。
「公の胸に就いた傷は何より貴重な勲章です」(豊臣)
「300年前、太閤が始めた意志を今日、成し遂げました」(伊藤)
他国を餌とした殺伐な世の中、われわれはそれでもどうにか生き残ってここまで駆けてきた。(朴正勲社会政策部部長 2010年8月)
近いようで遠い国。
どこまで理解できるかはわかりませんし、
もちろん限界もあるでしょうが、
お互いを理解しようとし続ける努力を
怠ってはいけないと思います。