別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

食の志向のマッピング

 

 

マクロビオティックとは、自然農法で育てられた農産物を地産地消に近い形で食べることを基本とした健康食の分野だ。創始者と呼ばれている桜沢如一は、戦前の1930年代に栄養学の一つ、または食事療法としてこれを考案した。マクロビの基本は、米は玄米の状態のまま、麦は精白せず全粒粉のまま食べると言うもの。穀物でもビタミンやミネラルなどを多く含む全粒穀物を摂っていれば、動物性タンバク質、つまり肉類はいらないと考える。穀物を食の中心と捉えるマクロビの場合、全体の食事の中で穀物が占める割合は、5割から8割とされる。この点においては、炭水化物の摂り過ぎが日本の食生活の問題点であるという昨今の風潮とはやや相反する。アメリカやイギリスでも、ここ10年で肥満の原因は肉よりもむしろ、パンやパスタなどの食べ過ぎ、つまり炭水化物の摂り過ぎであると考えられるようになっているとのこと。

身近に炭水化物ダイエットに取り組んでいる人がいます。

 

スローフード運動とは、1986年にイタリアの地方にあるピエモンテ州で生まれ、90年代に世界的に広がった、食文化の保護を訴える運動である。スローフード運動の母体となったのは、ピエモンテ州ランゲ地方の小さな街の、のちにアルチゴーラと名乗ることになる地元ワインの愛好協会だった。

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その活動が世界的な規模へと拡大する契機となったのは、1986年にローマ市内のスペイン広場にできたマクドナルドのイタリア1号店への抗議運動だった。

 

 

地方の農村に行けば、いくらでもオーガニックな野菜が手に入るが、農地から遠い都心では手に入りにくいというのもウソである。生鮮品売り場に産地直送の有機野菜のコーナーが当たり前のようにあるのは都心のスーパーで、地方の小規模のスーパーでは、まず見かけない光景と言っていい。本当に農村地域に行けば、生産者から直接野菜が買えるが、そこで手に入る野菜は有機ではない場合が大半だ。

 

科学ジャーナリストのマット・リドレーはベストセラーとなった著書「繁栄」の中で、全く逆のことを指摘している。化学肥料を使った農業の方が、有機農業よりも自然環境保護の側面において正しいのだと。◇◇さらに食料の生産量を増やさなくてはいけないという時代に、農業を有機栽培に切り替えていくことは、世界の単位で見れば悪質なほどの自然破壊を促すことを意味している。実は有機農業は全くサステナブル(持続可能)ではないのである。今のところ、アメリカでも日本でも有機農業が農業全体に占める割合は、1パーセント以下に過ぎない。◇◇リドレーは有機栽培の土地効率の悪さをこう説明する。◇◇ようするに、とても面倒くさいのだ。土地効率という側面で考えるなら、有機はマメの栽培の土地の分だけ効率は悪くなる。単純に有機農法で従来と同じ収穫量の農業を営むには、必要な耕地は2倍になるという。今後有機農法の割合を増やしていくことは、健康的で美味しい野菜を求める地球上のトップ2パーセントの消費の満足度を増やすことにはなれど、世界の食糧事情を改善させてくれはしない。残りの98パーセントの人々には、何ら寄与しないどころか、生命の危機をももたらすことが明らかな食糧生産方式ということになるのだ。◇◇実はある。遺伝子組み換えの技術である。それは、マット・リドレーの言う「有機農業に競争力と効率性の両方をもたらす見込みのある技術」だ。◇◇有機農法の弱点を、遺伝子組み換え技術でカバーするという道は、僕らがオーガニック野菜を得ながら、同時に世界の基金も巣食う可能性のある組み合わせなのだ。だが、この両者が手を結んで進む未来というものは、現状では考えにくい。なぜなら現在有機コミュニティーが、遺伝子組み換え技術批判の最先頭に立つ勢力になっているからだ。◇◇ここで遺伝子組み換え食品の安全性について書くことが、とても難しいことであることはよくわかっている。遺伝子組み換え食品が危険であると考える僕の父を、国立大学の生命工学科を出て院にも進み、製薬会社では働くいとこと僕の二人がかりで、遺伝子組み換え食品を食べることで様々な健康障害が生じるという俗説の根拠の怪しさについて説得したことがるが、無駄だった。◇◇僕自身は遺伝子組み換え農産物に恐れを抱くことはないが、一方で、成長の早いホルモンの遺伝子が導入されて成長速度が速い鮭を食べるかと訊かれると、気分的に嫌な気がする。

 

 

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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日本の「食」は安すぎる 「無添加」で「日持ちする弁当」はあり得ない (講談社+α新書)

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