別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

自分自身のものさし

 

池波正太郎 「自前」の思想 (集英社新書)

池波正太郎 「自前」の思想 (集英社新書)

 

 

池波正太郎「自前」の思想 集英社新書

 

 

佐高信

「清規」(せいき)と「陋規」(ろうき)という言葉があって、

鬼平犯科帳」に出てくる盗みの三ヶ条

・「盗まれて難儀をする者へは手を出さぬこと」

・「人を殺めぬこと」

・「女を手込めにせぬこと」

というのは、まさに「陋規」にあたるものです。ダークサイドのルールですね。盗賊がそれを守るか守らないかによって、鬼平の対応も全く違ってきます。鬼平が罪を大目に見るというのが陋規」ですね。清規だけの社会や組織というのは、どうもギスギスしてしまうものです。現代で言えば会社の合併の時などに、両者の陋規」のせめぎあいが起こるんです。

  

田中優子

「つまり、自前なんだよね」と佐高信さんの言葉で私は、漂っていた空中からあるべき場所にすとんとおろされたように、驚きながらも地面にしっかり立った気がした。佐高信さんは「思想のコピーライター」のような人で、ごく短い言葉でも物事の本質や構造を言い表してしまう。

 

※清規と陋規について語るブログをみつけました。

http://hayakawa.mods.jp/haya-san/opinion/opinion_2/step32.html

独 り 言… 清規と陋規 …
ルールには“清規”と“陋規”があるという。
“清規”とは「人のものを盗むな」とか「親孝行をしろ」と言った表向きの道徳で、“陋規” とは、賄賂には賄賂の取り方があるとか、喧嘩には喧嘩のルールがあるという、 所謂、ダークサイドの道徳である。
このような意味で見ると、確かに僕達の子供の頃は、“清規”は親や学校から、“陋規”は 年長者(ガキ大将)から教えられたように思う。
近所には年長者を中心に自然にグループが出来、その中で年長者がグループを仕切っていた。 例えば、喧嘩は素手で、仲間同士の場合には相撲で勝ち負け を決めたりもしていた。負けたら従うしかなく、逆恨みをして親に言おうものなら、「ねっこんだ」と 言われ、誰とも遊んでもらえなくなったし、怪我をして帰っても、親は「誰が?」とは 一言も聞かなかった。 もっとも、この頃は、擦り傷や打ち傷は当たり前で、 親も少々の怪我をするくらいの元気はあった方が良い、と思っていたのだと思う。
又、学校でも悪いことをすれば体罰は当たり前だったし、運動会では勝ってノートや鉛筆を貰うのが 楽しみだった。又、親も男の先生の方が厳しいので良い、と言っていたように 思う (これは、親も体罰は許容していた、ということ)。
→結局、僕達はこのような環境を通して、痛みとか辛抱というのを体で覚えていったのだと思う。
そのような意味では、親になってみると、仕事にかまけて子供のことは殆ど何もせず、又、小学校 高学年からは塾に通わせたので余り偉そうなことは言えないが ( 僕は塾は好きでなかったが -勉強は自分でするもの- 、 そうすると、近所では遊ぶ相手が誰もいない、 ということで仕方なく塾に通わせたのだが)、このような概念すら 知らない今の若い親とか、甘やかすだけの学校 ( 今は、塾の方が“憶えさせる”という観点だけから見れば、しっかりしたシステムを持っている) で育った子供達が、その場の衝動で思いがけない事件 を起こすのも当然だ、という気がしてならない。 

・子供には大人から叱られる権利がある(賀川豊彦)。
・子供が受くべく、最初に感謝すべき教訓、それは両親よりの平手打ちだ(キェルケゴール)。
……………………………石原慎太郎(日本よ)

 

陋規と清規: 旁不忿

『中国には、賄賂にも賄賂の取り方というものがあり、泥棒にも泥棒の道というものがある。これを中国では、陋規(ろうき)と言う。之れに対して、表向きの道徳の事を清規(せいき)と言う。彼等の信念では、清規、つまり支配階級の道徳というものは、これは幾ら堕落しても大した事ではない。革命をやればどうにでもなるものだからだ。一方、陋規、つまり目に見えない裏面の庶民の道徳が失われたら、どうにも手をつけられなくなってしまう。従って、支配階級が腐敗するよりも、一般庶民、或いは支配階級の裏のルールの方が大切という事になる。』

安岡正篤著「十八史略」より抜粋しました。

昨今コンプライアンス一色といってもよい様な時代になりました。コンプライアンスとは、

「法令順守」という意味で、我々が社会的なつながりの中で生きて行く上で、最低限守らなければならない事項が法律であり、従って「法令順守」は我々が生きて行く上で至極当たり前の事なのです。それをしたり顔で「コンプライアンスコンプライアンス」と叫ぶ事は、本来恥ずべき事なのです。私が勤めていた会社も同様で、上は役員から下は新入社員、果ては派遣社員に至るまで、「私は法令を遵守します」といった文言の誓約書の提出を求められました。私を含め、何人かは、当たり前の事を殊更に誓約書として提出する事を求めるのはおかしい、自分は一人の人間として当たり前の事を当たり前に行うだけであり、他人が誓約書の提出を求めるのは筋違い、よってその様な要求に応じる意思はない、と突っぱねた事が有りました。しかし、それ以降何度も何度も誓約書の提出を求められ、というか暗に提出を強要され、多くはそれに屈して行きました。真偽の程は解りませんが、最後まで拒否したのは、役員では私一人だったと聞いています。

私がかかる態度をとった最大の理由は、法令順守は他人にとやかくいわれる筋合いのものではない、という事以上に、誓約書を社員全員から提出させる事によって、コンプライアンス委員会が自分達の仕事は終わった、今後問題が起こっても、それはもうコンプライアンス委員会の問題ではない、と主張する為の手段として、誓約書の提出を考えた点にありました。本来法令順守を今更の事として言い出さなければならない背景、本当の理由を見つけ出し、そこから法令順守をわざわざ言わなくとも、社員全員が法令順守を当たり前の事とする、倫理規範の確立こそがその時点での焦眉の急と考えたからです。人事部から誓約書の提出を求められ、それを拒絶した際理由としてあげたのは、こんな事しかやれない様な社内体質、幹部のコンプライアンスの理解こそが問題であり、類似の問題は近い将来必ず再度起こる、その問題提起として誓約書の提出を拒否しているのだ、という事だったのですが、その後矢継ぎ早に何度も何度も同じ様なコンプライアンス問題が起こりました。只私にとっての最大の恥辱はまさにその問題がDPF関連Data偽造問題として、又セクシャルハラスメント問題として相次いで私の足下で起こった事でした。

現在の皆さんの仕事の性格上、”陋規”は直接関係がない事は言う迄もない事ですが、この世の中にはこういった”陋規”に則って行動したり、この”陋規”を破って世の指弾を受ける人々が沢山いるという事実を知っているだけでも十分意味があります。

2006年12月23日 (土)