別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

悪い脚本からいい映画が生まれることは決してない

 

シナリオ無頼―祭りは終わらない (中公新書)

シナリオ無頼―祭りは終わらない (中公新書)

 

 

このシーンを書き直すように命じられ、私は何度も書きに書き、先生はその都度「違う」とおっしゃり、丸一日が過ぎてしまう。次の日、完全に迷路に迷い込んで一字も書けなくなった私に、先生からヒントが与えられる。
「君は絵描きの息子だから、絵も描けるだろう。コンテに割って書いてごらん」
私はまず荒れた海の情景から始めて、カット割りのコンテ描き並べてみる。10カットほどの絵コンテができ、先生に見せる。
「それを正確な文章に戻してごらん」
言われた通りにシナリオのの文体に戻すと、一読された先生。
「これでいいんだよ」
すーッと身体の力が抜けるような気がして、私の体内にシナリオというものが強い実感となって入り込んだ気がしたものであった。

 

 

かつて、日本映画の勃興期に活躍した映画の父とも言われる牧野省三監督が、映画における脚本の重要性について端的に表現した言葉がある。
「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」
スジとは脚本のこと、ヌケとは画面が綺麗に仕上がっているということで撮影の技術、ドウサとは役者の動き、つまり演技ということで、この言葉は映画製作の三原則ともされる憲法であり、それは永遠に変わることはない。カメラよりも俳優よりも、映画を作るためにはまず第一に脚本が大事だと言っているのである。
「脚本さえ良ければ誰でもいい映画をつくれる」とさえ、牧野省三は語っているし、「いい脚本から悪い映画が生まれることもあるが、悪い脚本からいい映画が生まれることは決してない」という言葉も映画制作を志す者なら誰でも知っている金言となっている。

 

牧野省三 - Wikipedia