別荘は買わない

つもりです・・・が先のことは誰にもわかりません。

誰が考えてもそうでしょ

 

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

 

ある程度歳を取れば、人にはわからないことがあると思うのは当然のことです。しかし若いうちは、可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。だから色々悩むわけです。その時にバカの壁」は誰にでもあるのだということを思い出してもらえば、ひょっとすると気が楽になって、逆にわかるようになるかもしれません。そのわかり方は、世間の人が正解というのと、違う分かり方かもしれないけれど、もともと問題にはさまざまな回答があり得るのです。そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。でも多くの人は、反対に考えているようですね。ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。
若い人もそうかもしれない。なぜなら試験に正解のない問題を出したりすると、怒るからです。人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけです。私はそう思っています。でも今の学校で学ぶと、一つの問題に正解が一つというのが当然になってしまいます。本当にそうか、よく考えてもらいたい。

 

「常識」=「コモンセンス」というのは、「物を知っている」つまり知識がある、ということではなく、「当たり前」のことを差す。ところが、その前提となる常識、当たり前のことについてのスタンスがずれているのに、「自分たちは知っている」と思ってしまうのがそもそもの間違なのです。

 

あるとき、評論家でキャスターのピーター・バラカン氏に、「養老さん、日本人は、常識を雑学のことだと思っているんじゃないですかね」と言われたことがあります。私は「そうだよ、その通りなんだ」と思わず声をあげたもので。まさにわが意を得たりというところでした。

 

では、常識、コモンセンスとはどういうことでしょうか。16世紀のフランスの思想家モンテーニュが語っていた常識とは、簡単に言えば、「誰が考えてもそうでしょ」ということです。それが絶対的な真実かどうかはともかくとして、「人間ならふつうこうでしょ」ということは言えるはず、だと。
モンテーニュは「こっちの世界なら当たり前でも向うの世界ならそうじゃないことがある」ということをしっている人だった。もちろん「客観的事実」などを盲目的に信じてはいない。それが常識をしっているということなのです。