ダーウィンの自然淘汰の考えを否定する
副題は「ラマルク説で読み解く」。
ネオ・ダーウィニストたちは、ダーウィンの自然淘汰をすでに証明された真実とみなし、この当否を考えようとしない。この「ラマルクの進化論は否定し去られている」という彼らの主張に抗して、近年、ラマルクの獲得形質の遺伝の考えに賛同し、ダーウィンの自然淘汰の考えを否定しようとする学者が世界各国で増えつつある。このような考え方をラマルキズム、この立場で研究する人々をラマルキストという。
今まで考えたこともありませんが
そういう考え方もあるのですね。
しかし直立二足歩行によって得られた最大のメリットは、何と言っても前肢を歩行に使用する必要がなくなり、樹上生活をやめたことと合わせて、手が自由になったことである。この自由になった手を使って、猿人たちは石や動物の骨を加工して道具を作るようになり、さらに道具の製作法を子孫に伝えたのである。
手の使用が脳を刺激してその発達を促し、また発達した脳は手の機能を高めるという、手と脳の相互作用によって人類の脳はどんどん進化してその容積を増大させていった。ラマルクの用不用説に当てはまる典型的な例である。
しかしローマ人の後継者である中世のヨーロッパ人は、一神教であるキリスト教の排他性と結びついて、恐ろしい蛮行を起こした。以後この蛮行は、アステカ、インカ帝国のスペイン人による征服の際、何倍もの規模で繰り返される。
イスラム教は異民族、異教徒に対して寛大であり、サラセン帝国に征服されたコンスタンティノープルでは、ギリシャ正教が総本山として存続を許された。これに反しヨーロッパ人は、異教徒を神の命じられたこととして皆殺しにする。寒冷で土地のやせた古代ヨーロッパでの、狩猟民としての血生臭い習慣が精神構造に刻み込まれているのであろうか。
いま巷でいわれていることと、だいぶ違いますね。
ごく一部のイスラム教徒を俎上に挙げて一般論にしてはいけませんよね。
あたかもローマで建設中のサン・ピエトロ大聖堂の大ドームの建設費の不足を充填するため、ローマ教皇はドイツでのいわゆる免罪符の販売を命じた。この免罪符を買った人々は、どんな罪も許され天国へ行けるというのである。ルターは免罪符の売り手が調子に乗り過ぎて「免罪符があればたとえ聖母マリアを犯しても許される」などというのを聞いて、ついに堪りかねて行動を起こした。