自分には大親友はいない
適塾の緒方洪庵、咸臨丸の勝麟太郎(海舟)、中浜(ジョン)万次郎など
歴史に名を残す人たちが登場します。
その頃は封建時代のことだから日本国中どこも同じく、藩の制度は古いものを守る一筋とするという有り様で、藩士それぞれの身分がちゃんと定まっていて、上士は上士、下士は下士と、箱に入れたようになっていて、その間に少しも融通が利かない。そこで上士族の家に生まれた者は、親も上士族であれば子も上士族、百年たっても身分は変わらない。したがって小士族の家に生まれた者は、自然と上流士族の者から常に軽蔑を受ける。人々それ其れの賢さ愚かさに関わらず、上士は下士を目下に見下すという風がひたすら行われて、私は少年の時からそれについていかにも不平でたまらない。
見えない労働を担う人々
食事の支度や後片付け、洗濯、掃除、育児に介護・・・。
誰もが必要とする「暮らしの営み」のはずの労働が、
なぜ正当に評価されないのか?
家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)
- 作者: 竹信三恵子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/10/19
- メディア: 新書
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介護プランを作るケアマネージャーには、介護保険から報酬が出るが、在宅介護の要請に合わせて細切れのシフトをうまく組み合わせるシフト表づくりなどは報酬の対象にならない。介護と介護の間の「隙間時間」を使って対応しろということになる。「専門性は評価されない。家庭内の女性がやってきたため、女ならだれにでもできる仕事という位置づけとしか思えない」と、彼女は納得できない表情だった。
インチキな自己責任の論理
著者のいう「自己責任」とは、
自由の対価としての責任ではなく、「オレは責任をとらないよ」と弱者に責任を押し付ける保身と欺瞞の言語。それが「自己責任」です。
ところが不思議なことに人間というものは、寝たきりになってしまうと生きたくなるものなのです。以前、テレビの楽屋でビートたけしさんが、感慨深げにこう私に言ったことがあります。「和田先生、寝たきりになってまで生きていたくないなんて、嘘だよな」私は「いや本当にそう思いますよ」と言いました。たけしさんのお母さんは、元気な時は、「たけし、寝たきりになったら殺しておくれ」と話していたのに、いざ寝たきりになるとこう言ったのだそうです。「たけし、医者に礼を払っているか?」要するに、人間は、「寝たきりになっても生きたい」というわけです。寝たきりになる前は誰だって、寝たきりになってまで生きていたくないと思うわけですし、認知症になってまで生きていたくないと思うものです。しかし、それはあくまで元気なときの想像なのです。しかも、自分の意志が後で変わるかもしれません。
ムダな仕事を増やすファサード
頑張りを引き出す装置は人事考課制度の情意考課。
「あいつはよくがんばっているから、ちょっと良い点をつけてやろう」
そんなことありがちではありませんか。
そこで、がんばっているフリをするようになるのです。
・普段はダラダラと仕事をしていながら、幹部がやって来た時だけ張り切って仕事をする人。
・たいした仕事をしていないのに、忙しそうに毎日残業し、有休をとらないことを自慢する人。
・周りに聞こえるよう必要以上に大きな声で話し、会議では必ず発言して存在感を見せつけようとする人。
・無理だと分かっているところへでも、勇んで飛び込み営業に行く人。
組織論では、このような行為を「ファサード」と呼びます。ファサードは建築用語で建物の正面のことであり、表向きだけの見せかけを意味します。それと同じように良い仕事をしているかのように装ったり演技したりするわけです。
大事な仕事は最適基準、それ以外の仕事は満足基準という「ダブルスタンダード」でいこうと決心したわけです。
- 作者: ジェームズ・G・マーチ,ハーバート・A・サイモン,高橋伸夫
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